震災から15年。南三陸が伝え続ける「命を守る記憶」

2011年3月11日。
日本中が忘れることのできない日です。

**東日本大震災**から、今年で15年。
時間だけを見ると長い年月のように感じますが、被災地では今もその記憶と向き合いながら生きている人たちがいます。

宮城県の**南三陸町**には、震災を象徴する建物があります。

それが
**南三陸町旧防災対策庁舎**です。


津波の猛威を伝える建物

震災当時、この建物は町の防災対策本部でした。
3階建て、高さ約12メートル。

しかし、その高さをはるかに超える
最大23メートルの津波が南三陸町を襲いました。

建物には職員や消防団員、住民など
53人が避難していましたが、
津波にのみ込まれ 43人が犠牲になりました。

当時、防災無線を通じて最後まで住民に避難を呼びかけ続けたのが
町の職員だった

**遠藤未希**さんです。

津波が迫る中でも、
「高台に避難してください」
と放送を続けた声は、今でも多くの人の記憶に残っています。


残すか、壊すか

震災後、この建物を残すかどうかは大きな議論になりました。

「見るたびにつらい」
「思い出したくない」

そういう声もありました。

それでも町は、
震災遺構として残す決断をしました。

理由は一つです。

この建物が、命を守る歴史の証人だから。


新しい町は10メートル上に

現在の南三陸町は、
大規模なかさ上げ工事によって生まれ変わりました。

町の土地は、
旧庁舎の屋上とほぼ同じ
約10メートルの高さまで持ち上げられています。

その高台には、今では

南三陸さんさん商店街

という新しい商店街ができ、
飲食店やお土産店など28店舗が並び、
多くの観光客が訪れる場所になっています。

つまり南三陸は、

過去の記憶の上に、今の暮らしがある町

なのです。


15年たっても終わっていない

東日本大震災では
いまも 約2500人以上が行方不明のままです。

家族を探し続ける人もいます。

震災で妻を亡くした男性は、
自ら潜水士の資格を取得し、
海に潜って妻の手がかりを探し続けています。

最後に届いたメールは

「大丈夫?帰りたい」

という言葉でした。

15年経っても、
その思いは消えていません。


私たちにできること

遠く離れた場所で暮らしていると、
震災はどうしても「過去の出来事」になりがちです。

しかし、被災地では今も
記憶と向き合いながら未来を作っています。

だからこそ私たちも、
忘れないことが大切なのかもしれません。

記憶を残すことは、
未来の命を守ることにつながるからです。

震災から15年。

改めて、
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
今も復興を続ける被災地に思いを寄せたいと思います。

✨ランチメニューがさらに進化しました✨

いつもステーキハウス和豪をご利用いただきありがとうございます。

【2025年7月よりランチメニューが新しくなりました】
このたび、7月よりランチメニューを一部リニューアルし、よりシンプルでスピーディーにご提供できる内容へと見直しを行っております。
これまでご好評いただいておりましたガーリックライスはディナー限定とさせていただき、ランチタイムにはお手軽に楽しめる厳選メニューをご用意しております。

そして今回、その流れを受けてメインのお肉もリニューアル。
これまでの「国産牛フィレステーキ」に代わり、アメリカ産の【ハンギングテンダー(サガリ肉)】をご提供いたします。

ハンギングテンダーは赤身の旨味とやわらかさを兼ね備えた希少部位で、ジューシーな肉汁と力強い味わいを楽しめる自信作です。
「さらに美味しくなった!」と感じていただけることと思います。

今後とも和豪ならではの進化を重ね、皆さまにご満足いただけるランチをお届けしてまいります。ぜひ新しいステーキランチをお試しくださいませ。


予約は必要ですか?

ご予約なしでもご来店いただけますが、混雑時や限定メニューの日はお待ちいただく場合がございます。ご予約をおすすめしております。

ドレスコードはありますか?

特にドレスコードは設けておりません。カジュアルでも、記念日用の装いでも、お気軽にお越しください。

駐車場はありますか?

専用駐車場はございませんが、近隣にコインパーキングが多数ございます。店舗スタッフにお声がけいただければご案内します。

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